小日記

日々のちょっとしたこと

冬のエッセイその2


昨日(冬のエッセイ(清少納言さんゴメンなさい) - 小日記)の続き。
友達が書いたやつも出てきた。

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『冬は何をやってもダメ』

「冬は雑誌が売れない。」
これは、私の上司の口癖だ。冬になると、毎日のようにぼやいている。では、実際に冬に雑誌が売れないのか?というと、そうでもないようだ。雑誌協会が発表している、月別の雑誌販売数のデータを見てみると、ジャンルごとの偏りはあるものの、「冬=雑誌が売れない」と言える結果は現れてこない。もちろん、その逆の「夏=雑誌が売れない」ということもなく、とにかく雑誌不況で、月々の数字で分かるほどに部数を減らしている、という悲しい事実以外は分からなかった。

上司には申し訳ないが、「冬=雑誌が売れない」の法則は、ただの思い込みだったようである。しかし、この「冬=売れない」というのは上司だけのものでもない。先日会った編集者も「冬は雑誌が売れない」と言っていた。また自動車会社勤務の友人も「冬は車が売れない」と言っていた。ちょっとジャンルが変わるが、私の知り合いで、現在絶賛婚活中の三十路ギャルは「冬は出会いがねー」と言っていた。彼女に言わせると、ナンパが激減するらしいが(「それは年とったせいだよ」と指摘しておきました)、それはさておき、私は思うのである。みなさん、冬のせいにし過ぎていませんかと。

かつて、日本の山奥には、天狗なる化け物が住んでいたとされる。大陸から流れ着いたロシア人が原型であるとか、捨て子にされた障害児が成長した姿であるとか、様々な説が言われているが、彼らには、浮遊能力から、発火能力、神隠し、病気や不幸をもたらす能力まで備わっていたとされる。能力だけで見れば、世界の化け物の中でも最高クラスの能力である。これについて民俗学者柳田国男は、当時の日本人にとって、理解できない災い(たとえば雷が落ちることや、元気だった人が急死することなど)が、すべて天狗のせいにされたことで、強大な恐怖として増大していったと指摘している。つまり「何でも天狗のせいにしてしまおう」と、利用されたのである。実際には、難破し流れ着いた孤独なロシア人だったかもしれないのに。はたまた可哀想な障害者かもしれないのに。いや、そもそも存在さえしていないのかもしれないのに。

つまり、冬は天狗なのである。人は、この寒く切ないこの季節に嫌なことがあると、とりあえず冬のせいにしてしまう。モノが売れないことも、出版不況も、出会いがないことも、私が転職活動しなきゃいけないことも、すべては冬のせい。いつしか冬は災いの集合体としてイメージ形成され、好きな季節ランキングでは、最下位というのが定位置になっている(ニフティ2013年1月調査)。もちろん、冬が好きな人もいるが、前述のデータによるとたった4%。1位の春の42%とは10倍以上の開きがある。

私は冬が一番好きである。その理由はいろいろあるが、一番の理由は、寂しい冬の風景が好きだから。とくに都会の冬の風景を見ると、詩でも書きたくなるような感傷的な気分になる。冬を愛する者として、冬への悪い偏見がなくなれば良いなあと願っている。
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最後の段落がフワッとしてて笑えました。
やっぱどこにも誰にも見せない文章はおもしろいです。