小日記

日々のちょっとしたこと

5/2 ご近所付き合い


ゴールデンウィークのことは、うまくまとめられなそうだし、文がヘタなのがよりいっそう露呈しそうだし、書くのがめんどくさい。
けど、毎日書くと決めたので書くぞ!


ゴールデンウィーク3日目の朝、詳しい経緯は忘れちゃったけど
車の中で父が単身赴任になったことを知った。
「あれ、言ってなかったっけ?」
ぜったいに聞いてない!!



この日は、10年ほど会っていなかった親戚に会いに行ってきた。
いや、厳密に言うと、親戚のような付き合いをしているだけで、親戚ではないのです。

遡ること25年。

父と母は頼る人がいない場所で私を生んだらしい。
共働きだったので、生後6ヶ月で保育園に預けられたわたくし。
しかし、保育園が合わなかったのか、よく体調を崩すなどして保育園を休みがちだったらしい。そのせいで、母はよく仕事を休んでいたそうな。
仕事を休まない普段の日でも、保育園の滞在時間を少しでも短くするため、本来17時半まで預かってくれるところを15時までと時間を短くして、お迎えはアパートの下の階の人にお願いしていたらしい。

しかしその後も保育園が合わない私は、けっきょく退園してしまうのでした。
退園したのはいいものの、25年も前のド田舎に、ベビーシッターや保育ママがいるはずもなく、わたしの面倒は、なんとアパートの下の階の人が一日中見てくれることになったのです。
ほぼ見ず知らずの他人に、生まれて間もない子供を預けるなんて。田舎だからなのか?すごいご近所付き合いだ。


アパートの下の階の人は私をよく可愛がってくれて、私は体調を崩すこともなくなり、父と母が転勤になるまでの2〜3年のあいだ、ずっとわたしを預かってくれたそうな。
転勤で引っ越したあとも、アパートの下の階の人との付き合いは続き、中学に入る前までは泊り行ったりしてました。


そんなこんなで、この日会いに行ったのは、わたしの面倒をみてくれたアパートの下の階のおじさんおばさん。
そこは震災で大変な被害にあった場所なので、ずっと行きたくてようやく行けました。



父の赴任先もそのへん。家から車で2時間くらい。単身赴任になったのは震災のせい。

とちゅう昼食をとろうということになったけど、お店がまったくないため、ごはんを買って父の寮の部屋で食べることに。
父の寮の部屋は6畳ほどのワンルームで、平日はここにひとりでいるのかと思うと少し切なくなる。


ごはんを食べ終え、おじさんおばさんの家へ。
元気なおじさんおばさんだったのが、少しだけおじいさんおばあさんになっていて、もっとたくさん会いに来ていればよかったと思ってしまいました。

私の家族も被災したので、震災の話をたくさんしました。
それから私の赤ちゃんのころの話。
近所のキタムラさんがあらわれるとなぜかいつもギャン泣きしていたとか(記憶無し)、わたしの母は歩行器の存在を知らなくて、立ったり歩いたりするのが遅かったとか。


おじさんは5年ほど前までラーメン屋さんをしていたんだけど、お店が火事なってしまって店をたたみ、今では食品会社に勤めている。
震災後はその会社の仕事の一環として、仮設住宅の清掃など震災がらみの仕事が中心らしい。
「こんど除染もするらしくて、研修を受けてきたんだよ」

えっ!除染!?!?
ちょっと研修を受けただけの人がそんなことして大丈夫なの?
危なくないの?ていうかなんでそんな仕事までするの?
その日だけ休めないの?

そんな言葉が頭をよぎる。
でも、その会社に勤めてお金を稼いでおじさんたちの生活があるんだし、無責任に休めとか言ってそのかわりのお金をわたしが渡せるわけないし・・・とか考えて、

「色んなことするんだね、すごいね」と返事をしてしまう。

帰りに、お土産と言って可愛いマグカップとスプーンをもらった。この日を楽しみに待っていて、買っていてくれたんだなーと思う。
わたしに気をつかってか、「また時間ができたときでいいから遊びにおいでね」と言ってくれました。
「またきてね」で良いのになと、少し寂しく思う。