小日記

日々のちょっとしたこと

親と離れるのが寂しくなくなったのはなぜか?

GWに帰省したのだけど、いつもと違って家族とわかれるときに全くさみしくなかったので、そのことについてちょっと考えてみた。

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父は県職員、母は小学校教諭と、バリバリ共働きだった親が二人とも退職した。

今回の帰省でいちばん驚いたのが、父が畑ブログをはじめていたこと!
農学部卒で、高校生物と中学理科の教員免許を持つド理系の父だけど、本をたくさん読んでいるので文はまぁまぁ書けるようだ。初々しくて固かったけど(笑)

父の畑。
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「動物性たんぱく質以外は自給自足できたらいいな~」と言っていた。
そのうち、父が大豆を育てて、母が豆腐を作りたいとのこと。いつか本当にやりそう。


一方母は、相変わらずパン作りにハマっていて、どんどん腕を上げていた。
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よく、「バリキャリvs専業主婦」というような煽り記事を見かけるけれど、物心ついた頃から母親が働いていた私は、専業主婦が昼間に何をしているのか、ごく素朴な疑問だった。いや、今だって、ちゃんと理解できていないかもしれない(理解できていないかもだけど、vsな思考は辞めるべきだし、あらゆる場面で双方協力できたらいいのになって思ってる)

母は仕事を辞めた今、どんな気持ちで毎日を過ごしているのだろう?

作る料理も相変わらず、働いてる人の料理って感じで、大雑把な見た目で味が美味しい。
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そういえば、読む本がなくなったときに、母に「最近おもしろかった本なにか貸してー」と言うと、これをすすめられた↓

おこう紅絵暦 (文春文庫)

おこう紅絵暦 (文春文庫)

家族全員それぞれに本の趣味が全く合わないことを、すっかり忘れてた……。

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わたしは今年で上京して10年目になる。前述のとおり、なぜか今回は東京に戻るのが寂しくなかった。
こんなにメソメソしていた頃もあった→
http://mihocomiho.hatenablog.com/entry/20120510/1336670866


寂しくなかった理由は、たぶん、両親がそれぞれに楽しそうに暮らしており、私がいなくても平気そうだったから。
きっとこれまでも平気だったと思うのだけど、今回は特にそれを感じたというか……「自分たちの人生はこれからよ~!」って感じだった。

ちょっと話が逸れるかもしれないのですが、長嶋有の名作『泣かない女はいない』のなかに大好きなシーンがある。

泣かない女はいない (河出文庫)

泣かない女はいない (河出文庫)

主人公の女に大変なことがあったときに、彼氏が楽しそうに過ごしていて、その様子を聞いて女はなぜか安心する、という描写(いま手元にないのでうろ覚え)。
これを読んだ時、「超わかる~!!」とひどく共感した。
自分が大変な時に、好きな人が楽しそうに過ごしていると、なぜかとてもホッとする。

誰かと離れたり別れたりするのが寂しくてつらいのは、「私がいないと寂しいんじゃないか」とか「私がいなくなっても元気に生活していけるのかな」と心配になるくせに、自らの意志で離れる(or別れる)選択をすることに、うっすらと罪悪感っぽいものを抱いてしまうからじゃないかな。様々な理由があったとしても、寂しさや辛さの根底に流れるのはそれである気がする。
(そういう理由で、一般的に恋愛では振られるより振るほうが辛いと言われるのかもしれない。そして、振るんだからそのぐらいの辛さは引き受けるべき、とも思う)。

だから、私がいなくても平気そうだと、つらくないし寂しくないし、気持ちが自由で楽になるんだと思う。

前々から、あらゆる人間関係の私の理想は、「この人がいなくても別に生きていけるけど、いたらもっと楽しいな~」という関係性だった。
その理由がいつも上手く説明できなかったのだけど、今回の帰省で少しわかった気がする。今のこの感じ、とても心地良い。