小日記

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映画『怒り』を観てきて思ったこと

映画『怒り』を観てきました。
めっちゃ面白かったけど観ていてつらかったです。そしてこの映画について人と話したいーーー。

あらすじ
東京・八王子で起こった残忍な殺人事件。犯人は現場に「怒」という血文字を残し、顔を整形してどこかへ逃亡した。それから1年後、千葉の漁港で暮らす洋平と娘の愛子の前に田代という青年が現れ、東京で大手企業に勤める優馬は街で直人という青年と知り合い、親の事情で沖縄に転校してきた女子高生・泉は、無人島で田中という男と遭遇するが……。(映画.comより)

映画は、3つのストーリーがそれぞれ展開していく形式です。時間軸だけが同じで、場所はバラバラ。それぞれの登場人物同士が関わり合うこともありません。
それぞれのストーリーに、前歴不詳の男が1人ずつ現れます。ちょうどその時期に、東京で残忍な殺人事件が起きており、犯人は逃走中。前歴不詳の3人の男たちは、周囲の人々から「こいつ、もしかしてこの事件の犯人では?」と疑いを持たれ始めます。

「愛した人は殺人犯なのか? あなたを信じたい」
と映画のポスターにもあるように、この作品のテーマは「信じること」です。
前歴不詳男3人のうち1人が犯人なわけですが、愛する人のことを疑ってしまう・信じられない・信じてあげることができなかった登場人物たちは、そんな自分を責めます。

でもさ、その状況で信じる方が無理だから、そんなに自分を責めなくても大丈夫だよ…ってわたしは思いました。
「人を信じる」って、「今からこの人を信じるぞ!」と決めるものではなく、「この人は信じられるなぁ」という気持ちが自然と湧いてくるものじゃないかな。

あと、人を信じるかどうかって、0か100かじゃなくない?と思いました。信じることに対してそんなに神経質にならずに、「怪しいな〜」と思いながら一緒にいるのではダメなのかな。
人は多面的なものなので、他人に対して「この面は信用できるけど、あの面ではちょっと信用できないかもなー」みたいな感じが現実では多いわけで、「信用できないところもあるけど任せてみようかな」とか、「この先何があるかわからないけど信じてみようかな」とか、そんな揺れがあってもいい気がします。

この人いつかどこかに行ってしまいそうだけど、今この瞬間に「ずっと一緒にいたい」と思ってくれているのは本当だな〜
というのを感じられたら、愛を誓ったっていいんじゃないかなーと思いました。

あとからこんなに色々考えてしまうぐらい映画は衝撃的で面白かったです。自分にとっての「人を信じる」ってどんな感じ?というのを考えちゃうので。
そして、わたしにとっての「人を信じる」は雑だなーと思いました。