小日記

日々のちょっとしたこと

向田邦子について最近感じたこと

向田邦子の作品を初めて読んだのは、二十歳そこそこの頃だったと思う。
沢木耕太郎の選集に入っていた「ダウト」だった。
当時は特別に面白いと思ったわけでもなく、読書経験も今よりは浅かったので「秀逸だ」と思うでもなく。
ただ、めちゃくちゃ心がざわついた。

すぐに「ダウト」が収録されている『思い出トランプ』を読んだ。
そしたらザワつきの正体が分かった。

それまで読んだり観たりしてきた小説や映画とは違って、出てくる女はみんな狡くて、男はみんな弱かった。
愛とか恋とか友情とか努力とか、そういう世界観の作品とは全然ちがう。
でも、それまで触れてきた作品に対して抱いていた違和感と、自分が生活していて薄々気づいていたことが『思い出トランプ』を読んだことで見事に合致し、「やっぱり女は狡いし男は弱いよね、わかる」と思った。

そして、おじさんおばさんになってもそれは変わらないんだ……と思ってショックを受けた(思い出トランプの主人公の9割は中年なので)。
したたかさは若さ特有のもので、年齢を重ねて世の中を知るうちに、正義感や強さが芽生えてくるものだと漠然と思っていた。だから、ガーンってなった。

先日まで、「向田さんは人があまり好きじゃないのかな」という見方をしていた。
「犬小屋」のカッちゃんは気持ち悪いし、「マンハッタン」の睦男はダサいし、「かわうそ」の厚子は強かおばさんである。
共感し、応援したくなる人がひとりも出てこない。

話がちょっと変わりますが。
わたしは原稿を書く仕事をしているのだけど、基本的には他人に直されても構わないし、気にしない(レポート記事や速報は特に)。
でも、扱っている内容や直され方によっては、うっすらと落ち込むことがたまにある。

そんなときは、『思い出トランプ』の一編をテキストに書き起こしている。
たぶん原稿用紙25枚分とかそのぐらいだと思う。
すると、文章や構成の緻密さ、無駄のなさに惚れ惚れして、自分の原稿なんてどうでもいいししょーもないな……という気持ちになってくる。

で、最近書き起こしをするうちに、やっぱり向田さんは人が好きだったんじゃないかと思うようになってきた。
なんとなく、全編を通して「しょうがないじゃない、だってそれが人間だもの」という空気が流れている気がして。
わたし自身が変わったからそう見えるようになったのか?

そんなことを思ったので、この記事を書いてみた。
また時間が経ったら見え方が変わるのかな。

思い出トランプ (新潮文庫)

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