小日記

日々のちょっとしたこと

3月17日(火)の日記

朝から、片道1時間以上かけて遠い場所へ行き、打ち合わせ。
わたしともう一人の担当者が、識者の方のところに伺った。

帰り際、わたしはコートを持って、もう一人の担当者はコートを着て「引き続きよろしくお願いします」と挨拶をした。
識者の方は、わたしにそっと「コート着ていってください」というふうに笑顔でジェスチャーをした。
わたしに対して気遣いしつつ、もう一人に気付かれないように配慮してたのが素敵だなぁと思った。

そのあとまた30分電車で移動し、途中でお昼ご飯を食べて、別の打ち合わせ先へ。
そしてまた1時間以上かけて帰宅した。
もろもろ立ち寄りなどして、家に着いたのは夕方。
1時間半の打ち合わせ二本立てと長時間の移動で疲れてしまい、少し寝る。

1時間ほどして起きて、メール処理。
晩ごはんに簡単なそぼろご飯とお味噌汁を作って食べ、今日締め切りの原稿2本に取り掛かる。
電車の中でアイデアを出して構成を考えてたので、あとは調べて書くだけという感じで2本合わせて5時間ぐらいで書けた。

木曜に大きい〆切があるので、今日はもう少し仕事してから寝る。


話は変わりますが。
昨日観た『JUDY 虹の彼方に』が印象的すぎたので、またこの作品について思いをめぐらす。
昨日に続きダラダラと感想を書きます。

大人になってからのジュディの周りには優しい人が多く、みんな彼女を何とかしてあげたいとか、才能を活かしてあげたいと思っているように見えた。
しかしその気持ちを上手く受け取れなくて、ときには「わたしを利用しようとしてる」と思ってしまうジュディ。
かと言って、周囲の優しさを上手く受け取れないジュディが悪いかというとそういう問題ではないと思った。
そしてもしも受け取れたらハッピーになるかというとそういうわけでもない。

ジュディはどうしたらよかったんだろうか。
どう行動したら彼女が幸せになれるのかがさっぱり分からず、「もっとこうしたらいいのになぁ」みたいなもどかしさすらなくて悲しかった。
どうやったって現状から這い上がれないように見えて、叶わないことがほぼ確定している幸せをただ祈ることしかできなかった。
最後の火花のようなステージを彼女の幸せだと決めつけることもわたしには憚られた。
そして『ジョーカー』を観たときも同じように感じたのを思い出した。

ジュディが子どもの頃に選ばなかった(選ばせてもらえなかった)いわゆる「ふつうの幸せ」を渇望しながら死んでしまうわけだけど、ここはどのぐらい脚色なんだろう?
わたしの個人的な希望を言えば、心の奥底ではふつうの幸せに憧れていたとしても、表向きは「選ばなかったものはいらない」と毅然としていて欲しい。

あと、ジュディは生涯で5回も結婚しているらしい。
美しくて、愛嬌もユーモアもあって、何より危ういところに惹きつけられる。その魅力は女のわたしもよく分かる。
そんな人の前では、例えば「合コンのさしすせそ(さすが〜、しらなかった〜、すご〜い、ってやつ)」なんてゴミみたいなもんだなーと思った(笑)。

Habit

Habit