小日記

日々のちょっとしたこと

因果応報とドミノ

因果応報は慰めの言葉ではなく、ほぼ100%あることだと思う。
科学的根拠を証明できないだけで、「確からしい事実」じゃないだろうか。

なぜこのことを書こうと思ったかを説明する。

わたしは、恨むレベルで嫌いだった人を年1〜2回ぐらい検索してウォッチしている。笑
関わりがないため、現在進行形で嫌いというわけではない。特に理由はなく、「そういえばあの人いま何してるんだろ?」って感じで探してみる。
眠れない夜とか、酔っ払って帰ってきて何もやることない時とかに。

そして先日もいつも通り(?)、10年ほど前に関わりがあったある人のFacebookを見に行った。
そしたら、因果応報と言うには不謹慎なほど大きな不幸が起きていて、怖くなった。
不幸の内容は、人が1人死んでる事件というか事故で、その人は真相究明のために署名を集めたり、ブログに詳細な経緯を綴ったりしていた。
もうこういう検索するのはやめようと思うぐらい重い気持ちになった。
もちろん、わたしの因果のせいではないけれど……。

今回の話とはちょっと意味が違うけど、「風が吹けば桶屋が儲かる」ってよくできた例えだ。
世の中のことがらはぜんぶ複雑に連鎖し合っていると思う。誰もがその連鎖の末端にいて、繋がっているのに先のことはコントロールできない。
(先述のことも、わたしから見ると、その人のパーソナリティと事件がまったく関係ないとは思えなかった)

「自分で蒔いた種」と言うことがあるけど、この場合わたしのイメージでは種よりドミノのほうが近い。

真っ暗ななかで、自分のとなりにあるドミノをひとつ倒す。どんどん遠くまで広がって倒れていく音が聞こえる。倒れていくのを止めることはできない。どこまでいったかなと耳をすましているうちに音はこちらへ戻ってきて、倒したくなかった自分のドミノまで倒れている。気づいたときにはもう遅い。元はと言えば、さっき自分が倒したひとつめのドミノのせい。

そういうことあるんだな。自戒を込めて書いてみた。
誰も傷つけないことが無理だとするなら、せめて誠実な人でいなければ、、、と思った出来事だった。

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写真は本文と関係ない桃です。