小日記

日々のちょっとしたこと

悲しみから

色んなことがいっぺんに押し寄せてきている感じです。

今日は、すごく大好きなカメラマンさんが亡くなったこと知ってショックでした。
新卒で入った会社でお世話になった方で、「年を重ねても心がきれいでいることってできるんだな」と衝撃を受けた方で、本当の心の内までは見えないけれど、もちろんたくさん苦労もされてきたと思うし、でも少なくともわたしやその周りの人たちにはそう見えていました。
専門のあるカメラマンさんでした。わたしにとってはじめてプロの仕事を眼の前で見せられた方で、当時はそのお仕事っぷりが自分のホットトピックで、よく人に話していました。

わたしは新卒で編集プロダクションという本の制作会社に就職しました。
そのカメラマンさんとはじめて現場でご一緒したとき、わたしは下っ端の雑用として現場に来ていて、端っこで撮影に使うものをアイロンがけをする他に何をして良いかわからず、小間使いでした。みんな作業に集中してますし。そんななかそのカメラマンさんは「アイロンかけるの上手ですねープロの方ですか」なんて冗談を言って話しかけてくださって、その瞬間にその現場でわたしは「ただの雑用」から「名前のある人」になったことを、今でもずっと覚えています。

恐れ多くも、わたしが旅行で撮った写真をよくお送りして見ていただいたりもしてました。
数年前にわたしと友だちが趣味で開いた写真展にもお一人で来てくださって、褒めてくださりダメ出しもあり、わたしの写真を好きと言ってくれて、「もし〇〇さん(わたし)が地元の東北で写真展を開くことがあって、一枚だけしか展示されてなくても、僕はそれを見に伺いますよ」と、この方のことだからきっとお世辞じゃ無く本心で言ってくれて、本当にそういう方だったんです。

ステレオタイプ化された写真家の感性に一撃を食らわすリアリティを帯びている、なんてもったいないお言葉をいただいたこと。わたしは普段からカメラを持ち歩いたりしてませんが、なのに旅行中はすごく写真が撮りたくなり、褒められたことがずっと残っているのかもしれません。

お線香をあげに行きたいですが、みんなから好かれていた方なのでご家族の方が対応に大変だろうなぁとか、わたしは自分の気持ちの整理をつけたいから行くみたいで自分勝手なんじゃないかとか、そんな自分勝手で行く人が来るたびにご家族がその人のことを思い出して悲しい気持ちになるのは申し訳ないなとか、色々考えてしまう。
亡くなったことを教えてくれた共通の知人がわたしのこの気持ちをウンウンと聞いてくれて(優しい…)、それでその人がご家族に連絡を取ってくれることになり、今度行けたら行ってきます。

ご冥福をお祈りしますという言葉は言い慣れなくてまだ自然には出てこなくて、天国でもにこにこ過ごしていらっしゃるんだろうなぁと、そんなことを想像しながらそれを願うだけです。せめて上記のことを伝えられたらよかったと思いますが、そんなふうに考えると悲しくて仕方なくなるので、また会えるよう願うだけです。一緒に作った本が残っていること(9冊も!)、本当にうれしく思っています。